「性愛」格差論―萌えとモテの間で 斎藤 環, 酒井 順子

電波男』読んでから...と思ってたが、こっちの方が手軽だから先読んじゃった。
『社会的ひきこもり』の斉藤環と『負け犬の遠吠え』の酒井順子とでジェンダーを語る、というコンセプトには意義はある。
しかし酒井氏は稀に鋭い視点を出してはくるのだがほとんど頷いているだけで、斉藤氏が頑張ってに薀蓄たれて同意を求めているという対談の構造自体がジェンダーの違いとして垣間見える。
この手の企画モノにはありがちだが、面識のない人相手にイキナリ面白い対談を要求すること自体無理があるのかもな。

とは言え、全く無意味な本という訳でもない。いくつか引用してみよう。

どうも今の格差論だけを聞いていると、この社会がいずれ、超えられない深い河で隔てられた、「勝ち組」世界と「負け組」世界の二つに分かたれてしまうような錯覚に陥ってしまいがちです。しかし、そのような分断は果たして現実的に起こりうるのだろうか?私には巷の格差論が、あまりに機械的なものに思われてなりません。格差化が進む中でも人々は、しばしば経済力や階層を超えて結びつくでしょう。それを可能にする一つの大きな要因が性愛にほかなりません。ダーウィニズムに対して棲み分けを強調した今西理論のように、私は性愛による「棲み分け」が、格差化の暴走に歯止めを掛ける可能性を夢想してみたいのです。
p7

個人的に「棲み分け」が必要というのは同意だが、これは格差を温存することとほぼ同意なのだがそれでもいいのかね?
性愛という恋愛至上主義的な新しいモノサシを導入することによって、今までの経済至上主義的な「勝ち組」「負け組」を相対化する。ただ、「負け犬」が必ずしも不幸である訳でないし、「可能にする一つの大きな要因」と述べられているように、これは経済至上主義から恋愛至上主義への転換を意味しない。すなわち「負け犬」論に意義があったのは、価値の相対化を通じてもう一度価値観を問い直そうとすることだと理解する。
酒井氏本人にそういう意図があるかは別として。恐らく自分の立場の共感を得たくて書いたと思われる。

格差における二極化とは、システム論の言葉で言えば、システムの作動がポジティブ・フィードバックだけになってしまし、ネガティブ・フィードバックが働きにくい状態のことです。わかりやすく言い換えるなら、ある傾向が強まると、その傾向を打ち消すような反作用が働かなくなって、むしろ雪だるま式にその傾向が強まっていくような状態です。
(中略)
しかし私の臨床経験で言えば、人間の精神活動が関わる分野で、格差化に歯止めがかからないなどという事態は、きわめて想定しにくいものです。ある種の傾向が一方的にどんどん進行するという事態はほとんど例外的なものと言ってよい。嗜癖やひきこもり状態などの一部には、それが該当するような局面がありますが、その場合ですら長い人生の中では一過性の傾向に過ぎません。かならず「底付き」(経済的破綻などによって嗜癖が限界にぶつかること)が起こるからです。
p11-12

前半部を見ても分かるように、構造が分かっていない訳ではない。しかし後半部は認識が甘いように思える。
たしかに底付きは起こるが、その地点に到達すればネガティブ・フィードバックが自動的に働く理屈がどこにあるのか。
システムに変更がない限り、ネガティブ・フィードバックよりもポジティブ・フィードバックが強い状況には変わりがない。
たとえ底辺の人間に「頑張れ」と言って上の階層へと向かう動きができたとしても、反作用で上の階層が下へと落ちるだけに見える。
経済的な格差ならばネガティブ・フィードバックの強化(再配分)、性愛の格差なら負け組同士をどう結びつけていくか(棲み分け)といったシステム論でなければ解決し得ない問題だと思うのだが。


上2つの引用箇所の間にも書かれているように、問題となるような格差が生まれるのは流動性再帰性が原因で、流動性が高まると格差が生じ、再帰性がポジティブに振れると差が拡大する。
経済格差は数量の問題なので、再帰性をネガティブにすれば格差は是正される。流動性を抑えるのは共産主義の結論に近く(思想とはまた別だが)、これは上手くいかないと言っていいだろう。
性愛格差は数量の問題ではなく、質の問題だ。再帰性をネガティブにするのは一つの手だが、イケてる女性に毒男と付き合えと強制するのも無理があるし、恋愛結婚から見合い結婚への回帰には無理があるだろう。
流動性を抑えることもまた難しいが、勝ち組が流動性の高いコミュニティーで頑張ってもらい、負け組に流動性の低いコミュニティーを用意することによって少ないながらも愛を育むという解決方法を模索できないかと考える。
残念ながら、具体的に男女が参加できる流動性の低いコミュニティーとは何か?となると非常にアヤシイが。


本田透批判に関する部分は、もう一つの方で触れることにするか。