さらば財務省!―官僚すべてを敵にした男の告白 高橋洋一

さらば財務省! 官僚すべてを敵にした男の告白

さらば財務省! 官僚すべてを敵にした男の告白

wikiで調べたら、この本で山本七生賞受賞したそうだ。
中川(女)のブレーンでもあるらしいが、この本読む限りそういう印象はあまり受けない。
上げ潮派という意味では共通してるが、竹中の元ブレーンという方が正しいかも。
半分自著伝みたいな内容なので手前味噌な印象は拭えないが、古い体質をドーンと壊して改革をババーンとやる爽快感は味わえる。
いわゆる埋蔵金問題、公務員制度改革消えた年金問題と今でもホットなトピックも載っているのでそこだけでも読む価値はあるが、
最も重要なのは郵政民営化する必要があるというロジックだろう。

発端は金融自由化。これが引き金になって財政投融資の改革が行なわれることになる。

財投(財政投融資)はたとえていえば、巨大な国営銀行ともいえる仕組みだった。郵便貯金や年金積立金を大蔵省理財局が管理する資金運用部に全額預託させ、そこから政策金融期間や特殊法人などに資金として貸し出す。高度経済成長期には、社会資本の整備などに役立ったが、1990年代に入り、特殊法人批判が高まるにつれ、特殊法人はの財投による資金提供で無駄な事業が増え、天下りの温床をつくっていると非難が集中した。
そこで、橋本内閣が行なったのが預託義務の廃止を盛り込んだ財投改革だった。
(中略)
金利自由化以降はより金利リスクが膨らんだ。たとえば一年の期間でお金を調達して、二年で貸し出すとすれば、資金調達は、二回ロールオーバーしないと合わない。ところが、一年後には貸付金利は一年前のままだが、借入金利は変わる。一年後の借入金利が高くなれば損益がマイナス、下がればプラスになる。金融機関はどこもこの金利リスクに悩み、1990年代になると、リスク管理を強化した。
p53
(中略)
そこでリスク管理のソリューションとして開発されたのが、ALM(Asset Liability Management)である。
(中略)
ALM・財投債を持たずに金融業務を行なうのは、今日から見ると、羅針盤なしで航海に出る無謀な行為に等しい。
つまり、この時点でALMを導入していなかった大蔵省は、どんぶり感情に近い状態で金融業務を行なっていたことになる。
預託の期間は、お金を持ち込む担当省任せ。郵貯なら郵政省が勝手に決めて持ち込む。一方、特殊法人や政策金融機関への貸出機関(財投期間)も、向こうのいうがまま。リスクなどまったく考慮に入れられていないシステムで、400兆円と分母が大きいだけに少し金利が上昇しただけで、数兆円の穴があく。
財投の破綻とは大蔵省の破綻だ。
p54

ALMの導入で、民間金融機関並みに金利リスクは少なくなったとはいえ、預託制度の下では完全にリスクを解消できない。預託期間と貸出機関が異なる限り、リスクは残る。そこで、私は、財投債の発行を考えた。リスクの問題だけではなかった。預託では金利が市場金利より割高で、そのぶん、大蔵省基金運用部では負担できない。そこで、貸出金利を割高にして、貸出先の特殊法人への税金投入でまかなっていた。当時の預託制度のままでは、税金投入額が過大で将来行き詰るのは明白だった。
預託ではなく、債券発行にすれば、いかようにでも調整がつく。10年ローンなら、それに合わせて10年債を発行すればいいのだから、期間の齟齬はなくなる。ほぼ完璧なリスク管理システムになる。しかも、市場金利で調達できるので、預託の割高金利も解消され、持続可能なシステムにできる。
p61-62

ここまでは問題ないだろう。
この時点までは郵政民営化反対論者はむしろ大賛成。
大蔵省は預託放棄が権限の縮小にあたるので、当初は大反対だったそうだ。

橋本財投改革を諸手をあげて歓迎したのは郵貯の関係者である。郵政省と大蔵省は、郵貯の運用をめぐって、百年戦争を繰り広げてきた。自分たちが集めた郵貯のカネは大蔵省に持って行かれて、自分たちで運用することができない。これが、郵政省の大蔵省に対する恨みを増幅していた。
ところが、大蔵省自らが預託を放棄した。郵貯百年の悲願であった自主運用が、棚からボタ餅で転がり込んできて、郵貯関係者はみな舞い上がった。
p64

しかし、財投改革が行なわれたなら、郵貯簡保の改革は必至だ。

自主運用に切り替われば、郵政は民営化せざるを得なくなるからだ。それは、なぜか。
大蔵省と郵貯は、切っても切り離せない関係にあった。
郵政公社は、公的性格ゆえに原則として国債しか運用できない決まりになっていた。国債金融商品のなかでは、最も金利が低い。したがって、国債以外の運用手段を与え、リスクを多少とらせるようにしないと、経営が成り立たない。
にもかかわらず、経営ができていたのは、財投が郵貯から預託を受け入れるときに、通常より高い割高金利を払って「ミルク補給」をしてきたからだ。
といっても、大蔵省が身銭を切っていたわけではなく、注ぎ込まれていたのは特殊法人から吸い上げたカネである。
特殊法人は財投を借り入れ、高い金利を支払い、財投は特殊法人から吸い上げたカネを郵貯に補給するという仕組みだった。しかし、特殊法人には多額の税金が投入されるので、結果的には、税金が補填に使われていたことになる。
したがって、預託で結ばれていた郵貯と大蔵省資金運用部では、それぞれの破綻は相手の破綻に直結する。こうして大蔵省が決断したのが財投改革だった。
そうなると、郵貯はどんな運命をたどるか。リスクは財投改革前よりはるかに高くなる。大蔵省に利益を保証してもらい、国債しか扱ってこなかった運用能力のない郵貯が、市場に放り出される。しかも、官営のままでは、国債以外の有利な金融商品には手を出せない。これは、真っ裸で手足を縄で縛られて荒海に投げ出されたに等しかった。
また、リスクを取らせれば当然ながら、経営責任が生じる。官営ではこれが曖昧だ。責任者を解任したところで、損失を補填するために税金を投入すれば、国民は納得できないだろう。だから、組織そのものが責任を取れる体制にするには、民営化という選択肢しかなかった。つまり、真っ裸で手足を縛られて荒波に投げ出されたあと、泳ぐために縄を切るものは「民営化の鋏」しかなかったのだ。
p65-66

これだけだと郵便部門は官営のままでいいじゃないかという意見も当然出るだろうが、少なくとも郵貯簡保の民営化は必須だと言える。
官営だとロクなことにならないというのは、新銀行東京や住宅金融公社などの政策金融機関を見ても明らかに思える。
実際日本郵政に移行して、大した問題が起きてる訳じゃないし、改革は正しかったと現時点では言えるのではないか。
かんぽの宿売却は色々問題でてるがw