特殊法人改革の誤解 小西砂千夫

特殊法人改革の誤解

特殊法人改革の誤解

関学の小西(砂)著。

p192
特殊法人改革については、組織よりも事業見直しを中心にすべきである。事業見直しをするためには、費用対効果分析などの事業の有効性の分析も重要であるが、そのコストを開示して、それを客観的に吟味して財政負担との関係で実施するかどうかを不断にチェックする具体的な仕組みを作るしかない。それには製作コスト分析を手がかりにすることが有効である。これが本書の主張である。

全く持って正論である。
ただまぁ真正面から切り崩そうとしてもどうせ官僚に骨抜きにされてにっちもさっちもいかなくなる、というのが目に見えるようですが。
小泉改革の是非は色々あるが、少なくとも郵政民営化道路公団民営化、石油公団など一部廃止という大ナタに関しては評価しますね。
その後、つまりこれからは上記のような手法でいくべきだとは思うけれど。
大切なのはフィードバックを効かせること。某氏の言葉を借りれば再帰性の問題。


著者の真摯な態度が透けて見えるような本だが、惜しむらくは情報の分析能力が足りてないか?
無論今からはそう見えるというのはあるのだが。
例えば郵政改革について。2001年に行われた財政投融資のシステム変更に意義を唱えている。
その一つに郵便貯金の自主運用に問題があるとし、その後に小泉首相(当時)の郵貯民営化に意義を唱える。

p77-78
首相の発想は、郵貯を民営化することで、郵貯の力を弱め、郵貯に資金が集まらなくなって財投機関が日干しになるという発想のように思われる。
(中略)
小泉首相の考えるように、財投も郵貯も破壊していけば、経済効率が高まるという発想は筆者には危険に思える。

小泉首相は別に郵貯を破壊しようとは思ってなかったんじゃないかなぁ。
福田派の流れを組む小泉が、田中派を支持してきた全特の解体を目論んだというのが根本にあると思いますね。
もちろん郵便族への恨みが原点だが、最終的な目標は特定郵便局の解消を通じて田中派の勢力を削ぐこと。
民営化はその手段であって、郵貯を破壊する必要もなければ拡大を防ぐ意味もない、と。
郵貯の自主運用に問題があったのは確かで、アレはあくまで財務省の問題をクリアにする為の方策。
でもって自主運用の問題点を解消するには民営化しか方法がない訳であって。

確かに、定額貯金の商品性は見直されるべきであり、本格民営化ならば、預け入れ限度額の撤廃をするかわりに、運用は安全債券に限ることで事実上、元本保証を続けるべきである。しかし、そのような民営化をすれば、郵貯は縮小するどころか、拡大する可能性がある。店舗コストと人件費が違う民間金融機関との差が出てくるからである。そうなると、郵貯民営化は虎を野に放つことになり、民間金融機関との競争状態はより厳しくなる。
筆者はそれでもよいと考える。民間金融機関は金融債を発行して郵貯資金を獲得し、運用面で国債を上回る収益率を確保すれば、経営効率は大いに高まる。そうすれば金融市場は活性化する。民間金融機関が、預金を集めるのは郵貯に任せてもよいではないかという発想の転換をすればどうかということである。

現状はこのように推移しつつある。
これだけの先見性があるだけに田中派への攻撃という欠けたピースがあるのが惜しい。