【神田高校問題】「校長先生を戻して」「服装で合否、正しい」保護者や生徒が嘆願書

私はこの問題を自由主義VS社会主義の構図として見る。
...と書くとかなり語弊があるので、ルール主義VS共同体主義とした方がいいか。

元中学教師で日本教育大学院大教授の河上亮一氏は「学校を混乱させる生徒を試験で落としたいのは学校の本心だ」としたうえで、「公表した入試の合格基準を守らないで不合格にしたのはフェアじゃない」と、神田高にやや批判的な見解を示す。


 河上氏は2つの処方箋(せん)をあげる。1つは入試基準を変え、服装や態度などの要素を入れること。もう1つは入学後の退学や停学について基準を明確にし、スムーズに行える仕組みをつくることだ。

確かにこの批判は妥当だ。ルールに記載されていないから問題になったのであって、ルールに記載すれば問題はなくなる。
しかしそれで済む話なのだろうか?


アメリカ的ルール主義で行くとしたら、この方法で突っ切るしかない。
あらゆる可能性をルールで縛り、細分化していく。そして及んだルールまでを記載していく必要さえ出てくる。
「馬で登校してはいけない」とか。本当にこんな学校があるのかソースは無かったが。
服装や態度の要素を入れるとして、どのようにルール化するのか?
長髪はダメだというルールを入れたとして、女性はOKで男性はNGなのか?何センチまではOKとかにするのか?
伸びていなければいいのならモヒカンはOKなのか?どのくらいの幅までならモヒカンと認識されるのか...
キリがない。


となると、やはり常識的な裁量ってのを認めないといけないと思うんですね。恣意的に解釈される恐れを認識しつつ。
ルールは必ずしも明文化される必要は無い、共同体の中での共通意識を尊重するといった共同体的思考が必要だと思いますね。
どうしても官僚はルール至上主義で行く傾向にあるから、それを市民レベルで歯止めを掛ける必要がある。
ということでこの運動を私は支持する。


たかじんTV非常事態宣言で勝谷が「橋下知事はこの校長を大阪に引き抜いたらええねん」と言ってたが、
もし干されたままならその手もアリだな。