鬱ニムの処女作だが、まさか図書館にあるとは...
最近は写真も取れるジャーナリストとして便利なのだろうか、すっかりsportsnaviの代表サカーコラム担当になりつつあるが、
本来は紀行作家兼写真家。
しお韓では日本代表の話の原稿が上がると「代表はいいから街に出ろ」と言われる始末だ。
いやまぁ代表の話書かせても悪くはないのだが。


サッカーを通じて旧ユーゴの状況を詳らかにしてくれる良作。
各国の事情、歴史、住民の性向、そしてサッカーに対する情熱。
ニュースを見てるだけでは拾いきれない内情が実に良く描かれている。
写真家としての実力はどうなのか分からないが、ハッとさせられる写真が随所に出てくる。
ベオグラードの「誇り高き男」の写真は特にイイ。


鬱ニムは一年ほど前に地域リーグについて非常に良いコラムを上げていたが、
もう一度海外に出て、できればマイナーなリーグについて取材して欲しいところ。
...でも今は仕事結構多そうだから難しいんだろうなぁ。


古文漢文が苦手なウリにとって擬古文満載なのは正直骨が折れたものの、内容は非常に面白い。
明治維新がなぜあれほど劇的に成功したのかは今でも議論の分かれる所だが、
江戸時代に飛躍の鍵があるのは間違いなさそうだ。というか江戸時代の再考証が必要かも。


五公五民の現状については『日本人とは何か(下)』で触れられていた。
「昔の年貢は重かったんだな」としか思わなかった自分を恥じる。

ある人から面白い話を聞いた。かつてある左翼的進歩的教授が、徳川時代の農民はどれだけ苦しめられたかを講義した。
これは明治以来の定説で、今では教科書や通俗歴史書の殆どすべてに記され、だれ一人疑わない"常識"である。
だがそのときの一人のアメリカ人学生が質問した。
「では日本はその米をどこへ輸出していたのか」
教授には質問の意味がわからなかったらしく、しばらくぽかんとしていたが、やがて狼狽の色を浮かべて絶句し、立ち往生してしまった。
この"白紙"のアメリカ人学生の質問は、小学生でもわかるきわめて単純な計算から成り立っていた。
徳川時代を通じて農民の人口は全人口の84%前後、後期には推定人口3,000万のうち、武士7%、工商6%、その他3%とするのが通説である。
すると農民外の消費者は16%しかない。
農民から収穫の半分を取り上げるということは、穀物、主として米の総生産の42%くらいを取り上げることになる。
だがこれを、農民外の16%の人口がことごとく消費することは不可能で、少なく見積もって20%くらいの余剰農産物を生ずるはず、
では一体それをどこへ輸出していたのか、ということである。

検地がどれだけ徹底されていたのか?というのが一番の問題点なんだが、とにかく実情はさほど年貢は重くなかったという点が重要。
故に豪農というブルジョア層が出現することになる。
質素倹約を旨とする時代において、豪農の資本は浪費されず、蓄積される。
豪農は文武を学ぶ余裕ができ、時には商人に、時には金で武士の地位を買う。
こういった実情が資本主義への移行が比較的スムーズにいった原因だな、というのが良く分かった。
結局のところ、江戸末期はブレイクスルーを待っている状態であったと。


サブタイトルが渋沢栄一の思想と行動とあるように、渋沢栄一の半生に沿いつつ江戸末期から明治初期の時代考証がなされてる訳だが、
歴史の出来事を追うだけでは咀嚼できない当時の空気を掴む一助になる所が一番良い。
尊皇攘夷派だった人間が徳川慶喜に付いたかと思えば維新後大蔵省に入るも暫くして退官し、
第一国立銀行の初代頭取になるという一見不思議な経歴も納得がいく。
どうでもいいが、王子製紙も元渋沢財閥なんだな。