日本人とは何か。 山本七平

ウリの趣味と言えば漫画・ゲーム(競馬・麻雀含む)・サカーであり、歴史・地理・生物関係の知識を除いて
他に興味あるものと言えばウリナラトンデモ本疑似科学新興宗教含む)辺りになるんですね。
ウリナラとトンデモが好きなのは、非常識好きなのが高じて行き着いた先と言えるかと。
で、非常識なのが好きだとなると、何が常識なのか?という問いが当然出てくる訳で、
いつかは日本人論に行き着くとは思ってたんだ。どれが良い本かというアテがなかったので読んでなかっただけで。


いやぁ、コレはいいわ。
表現の自由を脅すもの』『銃・病原菌・鉄』が自分的に座右の書だったが、これに匹敵するほど気に入った。
「掘り起こし共鳴理論」という考え方が面白かった。*1
日本が外来の文化を取り入れる時に、一旦は丸々真似するものの次第に日本化されていく傾向にあるけど、
どういう取捨選択をしてるのかが疑問でならなかった。
例えば儒教は受け入れるけれども中国や朝鮮のような儀礼主義の部分はすっぱり抜け落ちたり、
西洋文化を受け入れても根本であるキリスト教はほとんど根付かなかったり。

古い文化的蓄積の中から共通するものが「掘り起こされ」、それが外部から来たものと「共鳴する」。
この場合、共鳴したものは受容されるが、共鳴しないものは受容されない。

驚くべきことに、民主主義が日本に根付いたのは文化的蓄積があったからだという。
ルーツは原始仏教の議決方法「多語毘尼」(たごびに、もしくは「多人語毘尼」たにんごびに)その他に根拠があり、
平家物語』に延暦寺のルールが詳しく出ているらしい。
袈裟で頭を隠し、声色を変えることによって多数決の秘密投票とし、賛否を審議したとのこと。
これが鎌倉幕府における評定衆の多数決方式に繋がっていく。


一番目が鱗だったのは「貞永式目」のくだり。
利害関係を一切排除し、道理と自分の考えで発言をすべきだとか
決議はたとえ反対したとしても全て一同の責任であるとか
多数決は必ずしも正しくないと認め、適当でないと思われる法律は破棄し、再び討議して新しい法律を制定するのを当然としていたり。
民主ではないが、議会制の根本がこの頃既に存在していたというのは素直に感心する。


個人的にはもの凄くお勧めな本だが、歴史に関心がない人が読んでも面白くないんだろうなぁ。

*1:どうでもいいがこの理論の提唱者である某教授の息子とは同級生でした