表現の自由を脅すもの ジョナサンローチ

表現の自由を脅すもの (角川選書)

表現の自由を脅すもの (角川選書)

第一章 自由思考への新たな脅威


信念を「常軌を逸した」信念からどうやってより分けるかという中心問題にたいして、五つの解答、五つの意思決定原則がある。


ファンダメンタリスト原理主義)的原則
真理を知る人が、誰が正しいかを決めるべきである。
ファンダメンタリストとは、普通は宗教的な意味合いにおいて使用される言葉だが、
ここでは「あなたが間違えることがありうる、ということを真面目に受け取ることを断固拒否する知的スタイル」のこと。)
・単純平等主義的原則
あらゆる真摯な人々の信念は平等に尊敬されるべきである。
・急進平等主義的原則
単純平等主義的原則に似ているが、歴史のなかで抑圧されてきた階級や集団に属する人々の信念に特別の考慮が払われる。
人道主義的原則
前述のどれでもよいが、ただし人を傷つけてはいけないことを第一にするという条件が付く。
自由主義的原則
公然たる批判を通じてお互いにチェックし合うことが、誰が正しいかを決める唯一の正当な方法である。



第二章 自由科学の興隆


認識論(Epistemology)…誰が何時知識を持ちうるか、という事に関するものの見方


プラトンの理想である国家

ある人は他の人よりもより賢い。だから……より賢い人が尺度である。
プラトン『テアイテトス』179b

最良の知識は、最良の思考をする人にもたらされる。
知識は知恵から生じる。だから、知識は特別な賢者、まさにたぐい稀な真の哲学者にだけ特に帰属する。
ここから導き出されるのは全体主義独裁制の国家。


国家は、支配(守護者)階級の人種的劣悪化を防ぐために生殖および結婚を統制すべきである。
国家は、詩をも含めて言論を厳格かつ油断なく統制しなければ、管理階級の間において必要な信念や徳などを教え込むことはできない。
全体制を支持してこれに正統性を付与する、社会構造の安定を保つために、嘘の宣伝というやり方に訴える。


モンテーニュ懐疑主義

たとえそれが、最も才能や能力に恵まれた学者たちであっても、およそ人々は、何事に関しても、例えば空は我々の頭上にある
ということに関してさえも、合意に達するということはない。これはまことに正しい前提である。

真理の確実性を破壊したが、人が自前で真理を見つけるといった望みを捨て、真理を自分に示したまえと神に頼む。


デカルト懐疑主義

私は、些かの疑いでも容れる余地のあるものはすべて、あたかもそれを絶対的な虚偽であると断罪したかのように、押し退けて進むであろう

方法的懐疑という手段が懐疑論的革命の引き金に。


デーヴィッド・ヒュームの懐疑主義

「我々が経験した事物を超えて、何らかの事物に関する推理をするということには、理由がない。」
「我々は絶対的に判断するか、でなければ、絶対に判断しえないかのいずれかである。」

経験論の限界を提示。


哲学者が確実な知識というものが不可能だと示そうとしていたとき、
啓蒙期の科学者・研究者は不確実な知識なら可能ということを示そうとする。
自由科学の基礎をなす懐疑主義は、可謬主義。(Fallibilism,訳書では「無謬否定主義」と表記)
「知識についてのあらゆる主張は、原理的には誤りうる」という考えを受け入れた社会には2つのルールが存在する。


懐疑論的ルール  「なんぴとも最終的発言権を持たない。」
 ある命題が知識として確立されたと主張できるのは、それが批判の前にさらけ出され、しかもその間違いを暴露しようとする試みに対して耐える限りにおいてのみである。
 ※反証可能性Falsifiability)の原理


・経験的ルール  「なんぴとも個人的権威をもたない。」
 ある命題が知識として確立されたと主張しうるのは、それを検証するために用いた方法が、それを行なった人が誰それであったとか、
その命題の出所がどうであったかとは一切無関係に、同じ結果を生み出す場合にのみ限られる。


第三章 自由科学の政治


自由主義が文明に対して果たした大きな貢献は、紛争の処理方法にある。
自由な革新とは、生命の進化という、自由体制中最大のものに倣って社会を設定していくことであった。
生物の進化においては、いかなる結果が生じても、これで決まった、これでおしまいということはない。(懐疑論的ルール)
たとえどんなに賢くて複雑なものであっても、種は競争の激しさを免れえない。(経験的ルール)
進化論的認識論(Evolutionary epistemology)においては、仮説や理念は、変化の元となる知的多様性を踏まえ、批判の圧力の下に競争しながら進化する。


秩序は、万人にとって同じルールの下で、各人の相互作用から生じるものである。(何らかの権威が定める秩序ではない。)
こうした考えは、偉大なる自由体制につながるのと同じように、偉大なる自由理論家たちとも繋がっている。

自然淘汰の理論は、自然の均衡と秩序はより高次の外からの(神からの)統制や、直接全体に働きかけるような法則の存在によって生じたものではなく、自分自身の利益を求める個人間の闘争から生じたものであるというアタム・スミスの基本的な合理主義的経済論を生物学へと創造的に移し変えたものである。」
ティーヴン・ジェイ・グールド『パンダの親指―進化論再考』

パンダの親指〈上〉―進化論再考 (ハヤカワ文庫NF)

パンダの親指〈上〉―進化論再考 (ハヤカワ文庫NF)

政治的自由主義の理論と認識論的自由主義の理論は、自由主義の父といわれるジョン・ロックを父としている。

「人民が旧立法府に腹を立てるときは何時でも新立法府を樹立できると言うのであれば、いかなる政府も長続きすることはできない」
という議論に対して、ジョン・ロックは人民の同意に基づく政府は、最初の印象ではそうでないかもしれないけれども、実は支配者が
固定化している体制よりも、より少ない程度にではなく、遥かに多くの安定性を持ちうるであろうと答えている。
ジョン・ロック『統治二論』(Two Treatises of Government)

統治二論

統治二論

ロック自身は、自分の知識哲学と政治哲学を明確に結びつけはしなかったが、知識の経験理論を確立した。
我々の相応しい指導者を選択する公共的プロセス同様、我々の相応しい信念を選択する公共的プロセスもロックから来ている。
どんなに確信していたとしても間違いを免れえない。
万物の知識は経験に照らしてのみ、つまり検証によってよってのみ獲得することができる

「万人は間違いを免れえない。善人たちといえども間違いを免れえぬ人々であり、時にはぬくぬくと過ちに浸り、それを最もさやかな光で心を照らす神的真理と取り違えていることがある。」
ジョン・ロック『人間知性論』(An Essay Concerning Human Understanding)

人間知性論 1 (岩波文庫 白 7-1)

人間知性論 1 (岩波文庫 白 7-1)

さらにまた彼から、異なる意見に対する寛容を擁護する最も強力な議論が出てくるのも何も驚くには当たらない。

「我々はお互いの無知を憐れみ、あらゆる穏健かつ公平な意思疎通の方法をもってこれを取り除く努力をし、他人が自分の意見を捨てて我々の意見を受け入れないからといって、すぐさま相手を頑迷固陋と決め付けて酷い扱いをすることのないように心すべきである……何故というに、自分の抱く意見のすべてが真理であり、自分の非難するすべてのものが虚偽であるという明白な証拠をもつ人は一体何処にいるのか。」
『人間知性論』(An Essay Concerning Human Understanding)

生物の多様性が、自然淘汰の原材料となる。政治的性向の多様さが、民主主義を更新し、権威主義政府を挫く。能力と欲望の多様性が市場を促進する。信念、思想、経験の多様性、つまり我々の色々な主観的世界の多様性も、これに劣らず重要である。この多様性こそまさにあらゆる天然資源のうちで最も豊かなもの、多分、すべてのもののうちで最も豊かなものである。


自由科学は、独断を独断と、偏見を偏見と戦わせることによって、それらを社会にとって生産的なものにする。
非難されるべきは、偏見ではなくて、チェックされずに罷り通る偏見である
偏見を根絶するということは、誰彼を問わず同じ偏見を共有させること、科学を殺すことを意味する。

「科学の長所の一つは、科学者たちに偏見のないことを要求するのではなく、ただいろんな科学者がいろんな偏見をもつことを要求することにある。」
デーヴィッド・L・ハル『過程としての科学』
         (Science as a Process: An Evolutionary Account of the Social and Conceptual Development of Science)

自由科学は、紛争を解決することが巧みだが、紛争を解決しないことにおいても極めて巧みである。
誰も最終的発言権を持っていると主張できないから、人々はお互いに異論を述べる余地、異論を認める余地を残す。
意見の不一致が取り扱い難いと分かると、どこが違うかをはっきりと片づけるとか、新しい検証方法を入手してもう一度立ち向かってみるとか、単に傍らへ置いておくとか、とにかく不一致をめぐって事の経過は進行しうる。
矛盾対立する意見を共存させながら競争させ、そして最後には意見の一つまたは全部が排除されるか、でなければ時代遅れになるかしてしまうまで、それらを包み込んでいくという能力において分裂を免れる。


第四章 ファンダメンタリストからの脅威
第五章 人道主義者からの脅威
第六章 しこうして、復活を期す